小机城跡入り口に有った案内図です。左側の上下に真っ直ぐな所は、第三京浜国道です。
史跡の中を切り取ってしまったのはチョット残念ですね。
土地所有者19名と言うのは、この史跡を守ろうとする人たちなのでしょうか。 |
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この写真は小机城に登り始めたところ。ご覧のように良く整備されています。トイレも割と綺麗なものがあり、
自転車置き場もありました。但し、照明類はトイレにあっただけで、その他はありません。そのため、夜は全く見られません。
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この後判ったのですが、小机城は一面竹林が多かったです。竹の子もあり。
でも、私有地みたいなので取ってはいけませんよ。
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どっかで見たような「空堀」の説明板。山城では空堀にするしかないですよね。
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本丸跡にたどり着いたところにあった石碑。もう少し大きくてもいいかなと思いました。墓石みたい。(失礼!)
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ここは、本丸跡なのです。訪れた日は日曜日で、野球が出来るほど広い本丸跡でした。 |
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小机城想定図の説明板ですが、写真を小さくしたので内容を下に書きました。
小机城の縄張
半島形の突出た丘陵の上部を大きく平らに削り、一列に三つ程度の曲線を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰、帯曲輪を築きます。
また、城郭全体を二重の土塁を空堀でぐるりとめぐらす縄張りで後北条氏特有の築城法と言えます。
類例より後北条、後半の築城法式で、東京都、埼玉県など戦国期の丘陵城郭の多くがこの型で県下では、茅ヶ崎城も典型といえます。
ここで、大変貴重な資料を見つけました。
横浜市内の城跡分布です。
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パンフレットがないので、この説明を見てください。
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櫓台は本丸跡よりも東側にあり、少し高台になっています。写真では判りにくいですが、柱跡がコンクリートで固められていました。
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「井櫓跡」を「せいろうあと」とは読めないです。それに「井櫓」とは何でしょう?
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至極常識的な事が書かれていますが、最後の文章が一番気に入りました。公共施設は全てこうなると良いですね。
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